ロバートジョンソン その音楽とブルース人生

ロバート・ジョンソン その音楽とブルース人生

どうも、サニータジマです。

好きなアーティストがどういう環境で、生きて来たかとか、普段どんなことを考えているとか、とても興味ありますよね。

プライベートなこととか知れたら、そのアーティストが何を考え行動して、曲にどう影響したのか、わかるかもしれません。

今回は、私の好きなロバートジョンソンの人生を綴ってみました。

幼少期

1911年5月8日生まれ。

ロバート・リロイ・ジョンソン

父 チャールズ・ドッズ、母 ジュリア

ロバートは幼い頃、複雑な家庭環境で育っている。

それは、当時としては特別な環境ではなかったのかもしれない。

チャールズ・ドッズは、ロバートがまだ幼い頃、農場で働いていたが

農場主とトラブルを起こし、行方不明になってしまった。

その後、ジュリアは、ノア・ジョンソンと再婚するが

ノア・ジョンソンもすぐに、居なくなってしまう。

その後、ジュリアはメンフィスで暮らす、チャールズ・ドッズに再開し、ドッズの元へ移り住む。

しかし、幸せは永く続かず

ジュリアは新たな人生を探し、家を出てしまった。

その後、ドッズはジョンソンをジュリアの元に送り返した。

ジュリアは、ミシシッピ州ロビンソンヴィルで新しい男を見つけ落ち着いた。

ロバートは、新しい父親とは、反りが合わなかったが

音楽だけが彼を救ってくれた。

幼少期に親の都合でたらい回しになっています。

ロバート・ジョンソンの生まれた1911年は、日本だと明治44年で岡本太郎さんと同い年なんですね。

そう思うと、遠い存在ではないような気がしてきます。

育った環境は劣悪ですが、現代でも似たような環境もあるかもしれませんね。

親からの愛情は少なかったのかもしれません。

自分の居場所はどこにもない。

そんなとき、彼の支えになったのは音楽でした。

良いか悪いかわからないけど、音楽にのめり込む要素が揃っています。

10代

ロバートは白内障を患い、視力も悪かったがハーモニカを愛した。

17歳の頃、農場で綿摘人とし働き始める。

ジョークジョイントに通い、そこで演奏するウィリー・ブラウンやチャーリー・パットンに憧れ

ミュージシャンになることを夢見た。

そんな、ロバートも恋に落ち、結婚し音楽も忘れ真面目に働いた。

妻、ヴァージニアとの間に子を授かり、ロバートの一番幸福だった時間かもしれない。

しかし、ヴァージニアとお腹の子は死んでしまう。

ロバートは嘆き苦しんだ。

その時、彼に救いの手を差し伸べたのは、やはり音楽だった。

ウィリー・ブラウンがロバートを可愛がり、サン・ハウスを紹介した。

ロバートはサン・ハウスに憧れ、彼にギターを教わることも出来た。

ロバートはサン・ハウスに頼み込み

ジョークジョイントで演奏させてもらうが演奏はイマイチで

「演奏をやめさせろ!」

と野次が飛んだ。

彼は深く落ち込んでいた。

ロバートジョンソンは最初からギターを弾いていたわけではなく

最初はハーモニカだったんですね。

当時ハーモニカは安価で手に入ったから、取っ掛かりとしてはハーモニカだったのか?

彼のハーモニカも聴いてみたい。

10代の頃、ミュージシャンに憧れて自分も将来はミュージシャンになりたいと思うのは

今も昔も変わらないですね。

彼も自分がミュージシャンになった姿を想像して、思いにふけていたのかもしれません。

10代で結婚しています。今は晩婚ですが、当時は普通だったかもしれません。

ヴァージニアから今まで味わったことのない愛情を受け、自分も愛し、

子供も授かり、彼の一番幸福だった時期なのかもしれません。

それを、ある日全て失う…

まだ、10代の彼はその現実を受け入れることができたのか?

この辺のことは、ずっと彼の曲に影響しているのではないかと想像します。

その後、ウィリー・ブラウンやサン・ハウスに可愛がってもらって、手ほどきを受けるなんて。

この辺の環境は、抜群に良いですね。

しかし、演奏すればブーイング…

理想と現実の狭間で、深く傷ついたと思いますよ。

自分のたった一つの支えが、音楽だったわけですから。

旅立ち

ロバートは街を出る事に決めた。

ヘイズルハーストに流れ着き、アイク・ジナーマンと知り合い

彼からギターの手ほどきを受ける。

アイク・ジナーマンは、ギターの名手だったが録音は残っていない。

ヘイズルハーストでロバートは、カレッタと結婚する。

ロバートは毎晩ギターを片手に、出掛けるだけだったが

カレッタはロバートの為に、必死に働き彼の世話をして支えた。

ロバートはトミー・ジョンソン等の有名どころと演奏できるまで腕を上げていたが、どこか自分に自身が持てずにいた。

ロバートの演奏を目にすると、言いよって来る女は後を絶たなかった。

彼は自分の、自身の無さを埋める為か女に逃げていた。

カレッタはそのことを気づいていたが彼を責めなかった。

そんなカレッタをロバートは捨て、ウィリー・ブラウン、サン・ハウスを見返して自身を取り戻す為

ロビンソンヴィルに戻った。

ロバートの師匠は、アイク・ジナーマンという男。

ジナーマンはギターの名手で、ギター教室みたいなことをしていて、ロバートの他にも生徒が居たそうです。

ジナーマンの録音は残っていませんが、聴いてみたいですね。

真意はわかりませんが

ジナーマンの妻や子供の証言から、ロバートの曲のいくつかは、ジナーマンの曲らしいです。

ギターの腕を上げると、またロビンソンヴィルに戻っています。

これはどういう行動なのか?

ブーイングを受けた相手を見返すためか?

僕の想像では、彼は尊敬するウィリー・ブラウンやサン・ハウスに認めて欲しかったのではないかと思います。

僕は、彼の演奏を聴いていると

自信たっぷりに演奏しているとは、思えないんです。

どこかに自信の無さがあって、それがまた彼の魅力になっている気がします。

自分を認めてくれる人を、いつも探している。

これは、幼少期の経験が影響しているのか?

契約

ロビンソンヴィルを出て1年、ウィリー・ブラウン、サン・ハウス、周りの連中はロバートのギターテクニックに驚愕した。

周りの連中から噂が立った

いや、ロバート自ら立てたのかもしれない。

クロスロード伝説

ハイウェイ49号線と61号線が交差する十字路

それか、ハイウェイ1号線と8号線かもしれない。

夜更けに、その十字路でギターを弾いていると、誰かが背後からかたを叩く

振り返ると、そこ居るのは精神世界の門番か悪魔か

パパ・レクバ

パパ・レクバにギターを渡すとレクバはチューニングをして、ギターを返してくる。

ギターを受け取れば契約成立。

超絶なギターテクニックを手に入れるが、魂は持って行かれる。

クロスロード伝説は、ロバートジョンソンが初めてではなく、ロバート以前にトミー・ジョンソンが吹聴していた。

その後も、クロスロードで契約を交わしたというミュージシャンは大勢いた。

ロバートの演奏の腕は絶賛され、順調だった。

カレッタをロビンソンヴィルに呼び寄せ、カレッタもロバートを崇拝した。

ロバートは野心を抱き、旅に出る。

病気になったカレッタを捨てて。

ロバートは、エルモア・ジェイムス、ハウリン・ウルフ、ハニーボーイ・エドワーズ…と知り合い呑んだくれた。

中でも、ジョニー・シャインズとは気が合った。

ロバートはシャインズと共に、南部を街から街へ旅して周る。

ロバートは一度聴いた曲は直ぐに弾く事ができ、客からのリクエストに応えることができた。

面倒を見てくれる女も、すぐに手に入れる事が出来たので寝る場所に困る事はなかった。

出ました、クロスロード伝説!

あまりにも有名ですね。しかし、クロスロード伝説を吹聴していたのは、ロバートジョンソンだけではなく

いろんなミュージシャンが吹聴していて、当時はお約束だったんですね。

しかし、ロバートジョンソンはそういった伝説とかを曲に盛り込んだりして、しっかりとイメージを作ってます。

自己プロデュース力があったんだと思います。

現代でも自分をプロデュースして、売れっ子ミュージシャンになっていたと思いますよ。

カレッタさん、良い人ですね。

ロバートは人気者になっていき、ちょっと天狗になっていたのかな。

レコーディング

ミュージシャンならレコードを出したいと思うのは、今も昔も変わらない。

ロバートはHC・スピアに自分を売り込みオーディションを受ける。

スピアの伝手でARCレコードでレコーディングのチャンスを掴んだ。

1936年、テキサス州サン・アントニオのスタジオ

1937年、ダラスの倉庫でレコーディングを行なっている。

レコーディングの際、彼は壁に向かって歌っている。

ロバートがとてもシャイだった、という説と

壁からの反響を利用した、という説がある。

レコードはヒットし、ロバートは名声を掴みギャラも跳ね上がった。

更なる富を求め、ロバートは北部へ向かった。

シカゴ、デトロイト、ニューヨーク

都会が約束の地と思われたが、なぜか南部に戻る。

このとき、もしも彼がレコーディングしていなかったら、今のロックは変わっていたのかもしれません。

何度聴いても新しい発見があります。

都会での生活はどうだったのか?

きっと最初はワクワクしたでしょうね。

最期の地

都会の生活で何かトラブルがあったのか、田舎が恋しくなったのかわからない。

グリーンウッドに落ち着く。

安酒場で演奏していたロバートは、酒場のマスターの妻と良い仲になってしまう。

彼は、いつものように酒場で酒を呑み演奏していた。

その夜は酒を呑むといつもより目が回り、演奏もおぼつかない

ロバートは倒れた。

誰かが毒を盛ったんだ。

その数日後、

1938年8月16日、彼は死んだ。

グリーンウッドから数マイル離れた墓地に埋葬されたが

埋葬された地は他にもある。

今でも、ファンが訪れている。

時の流れと共に、ロバート・ジョンソンの名前は姿を消しますが

60年代、ローリングストーンズやエリッククラプトン等に発見され蘇ります。

今でも、彼のギターテクニック、歌唱力、何とも言えない魔力に魅了される者は後を絶たない。

ロバート・ジョンソンは、初めてレコードを聴いて育った世代で

スキップ・ジェイムス、リロイ・カー、サン・ハウス、ウィリー・ブラウン、カズン・リロイ、タンパ・レッド

等の影響を感じるが、ロバートは全て自分のものにしてしまう。

繊細でどこか悪魔掛かった、ロバート・ジョンソンのブルースは、

永遠に消える事はないだろう。

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