ディック・ミネ ダイナ…戦前録音のリゾネーターギター
ども、サニータジマです。
ブルースの先輩、Ebi先輩からディック・ミネさんのCDをいただき聴いています。
ディック・ミネ?
名前は聞いた事あるけど、それ以上は何も知りませんでしたが、流石Ebi先輩わかってらっしゃる!
ハワイアン&ジャズなのですが、戦前に日本人がリゾネーターギター を弾いていたなんて感激です。
僕はブルース、ブルースと言っていますが、高齢者施設で働いていることもあり、童謡や昭和歌謡を弾き語ることが多いのです。
童謡や昭和歌謡の日本語の表現の美しさに感銘を受けておりました。
2周、3周して新しく新鮮に感じるのですが、ミネさんの歌にも美しさを感じます。
それから、ミネさんの歌い回しが日本語を英語の発音のように歌っています。
日本語から英語へ移っても全く違和感なく聞こえるんですよ。
この辺は、最近の若手のバンドに通ずるところがあるなと思います。
ロバートジョンソンが聴いていたであろう戦前の音楽、例えばjimmie rodgersなんかの雰囲気もあって
この雰囲気の音楽が日本にもあったのか!
と嬉しくなるのです。
ディック・ミネ
本名: 三根 徳一
1908年10月5日~1991年6月10日
徳島県出身のジャズシンガー、流行歌の歌手でギタリスト、訳詞家で俳優もされていました。
流行歌でも多くのヒットを飛ばしミュージカル映画等の多くの映画にも出演されています。
1934年(昭和9年)淡谷のり子に見出され歌手の道を歩むことになります。
作曲家、古賀政男の推薦で「ダイナ」をレコーディング、自ら訳詞、編曲、演奏を担当する。
『愛の小窓』、『人生の並木路』、『旅姿三人男』と歌謡曲のヒットが続く一方で、『アイルランドの娘』、『林檎の木の下で』、『ラモナ』、『イタリーの庭』などの外国曲を日本語で歌い、
戦前のジャズシーンを飾った功績は大きい。
ミネさんの三男さんはギタリストの三根信宏さんです。
Ebi先輩 ライナー
まあ、僕がとやかく言うよりもEbi先輩のライナーの方が詳しく書かれているので見て行きましょう。
それでは、Ebi先輩のライナーが詳しいので引用させて頂きます。
ダイナは昭和9年12月の録音ですから、ドブロ社とナショナル社の合併前のオリジナル・ドブロを使った日本最初の録音ではないかと思います。
あえて弾き語りと記したのは、前年の昭和8年にコロンビアレコードでミスコロンビアの「十九の春」のバックでスチールギターを弾いているのと、
ハワイ大学の学生であったバッキー白方さんが来日して、インスト曲を2曲録音しているからで
その時、バッキーさんがどんなギターを使ったかはわかりませんが
生音のギターであることから、ドブロの可能性も考えられるからです。
ミネさんの録音は弾き方りといっても、自分でギターを伴奏に歌うのではなく
イントロや間奏を単音で弾いているのですが、オーバーダビングなどない時代ですので
同録でギターを前に座って唄って録ったのではないかと思います。
当時、スチールギターはハワイアンギターと呼ばれていましたので、ハワイアンの曲に多様したのではないかと思っていましたが
ダイナを始めジャズの曲に使っている場合も多く、
6弦ギターの吉田末男さんのベースラインを絡ませたギターとのデュオ風の演奏はジャズィでブルースの香りもほのかにすると言っても過言ではないでしょうか。
バッキーさんが大学卒業後、電気スチールを持って来日永住しても、ミネさんは頑なに生音のドブロやスチールパンで録音を続けていたのですが
バッキーさんのテクニックと「きな臭い時代」にハーフのバッキーさんの面倒をみる為に、彼を自分のバンドに加入させたことにより、
ディックさん自らスチールを弾く機会は、少なくなってしまいました。
かなりの数のミネさんのスチール演奏が録音されているのですが、まとまった音源がないためか
CD化されていないどころか、LP時代もほとんど復刻されなかったのが残念です。
復刻の少ない貴重な日本の戦前リゾネーターギターの音を、現代のリゾネーターギター弾きの皆さんにも是非聴いて頂いて
先達の偉業に触れて頂ければと思います。